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藤井風「花」の歌詞の意味と、他の曲との繋がりを考察

枯れていく

今この瞬間も

咲いている

全ては溶けていく

ここは「帰ろう」の死生観と似ている。

人は全て死から始まって、死に向かって帰っていく。

「人」と「死ぬこと」について、「花」と「枯れる・溶けていく」で例える。

何が出来るのだろうか

誰を生きようかな

みんな儚い

みんな尊い

ここは「ロンリーラプソディ」の「みんなおんなじ顔 私もそう ぱっと見入れ物が違うだけ」という歌詞とリンクしている。

誰かになろうとする、何かをできるようにする。

そういうことではなく、みな尊いんだよと。

しわしわに萎れた花束 小わきに抱えて

永遠に変わらぬ輝き 探してた

変わってしまうものを持って生きながら、変わらないものを探し求める人の性。

僕らを信じてみた

僕らを感じてた

咲かせに行くよ 内なる花を

「内なる花」=ハイヤーセルフ。エゴや嫉妬やネガティブな感情とは無縁の高次元の自分。

藤井風さんの曲で頻繁に出てくる概念。

内なる花、つまりもっと良い自分が存在することを信じて、感じて、咲かせに行こうと歌う。

そしてこれは「永遠に変わらぬ輝き」とも対応していて、変わってしまう「萎れた花束」ではなく変わらない「内なる花」=ハイヤーセルフを見つけて抱えて生きていこう、ということ。

以下、2番。

さりげなく

思いを込めてみる

やむを得ず

祈りを込めていく

藤井風さんのインタビューや動画で「祈り」が生活に根ざしていることを度々言っている。

日々、良いことばかりじゃないけれど、思いを込めて、祈りを込めて生きていこう、そんなやるせなさとそれでも、何とか生きていこうとするもがき。

「帰ろう」の憎しみを自分から忘れて解放され自分を救おうという歌詞、「もうええわ」の傷つけ合いの「阿呆なゲーム一抜けた」とも似た歌詞。

いつまで迷うんだろうか

いつかは分かるよな

誰もが一人

全ては一つ ay

「いつまで迷う いつかは分かる」の部分が、自分の芯が見つからずに日々迷うこと。でもいつか分かるという希望を持つこと。

「誰もが一人 全ては一つ」、ここもまた「ロンリーラプソディ」の「みんなおんなじ顔 私もそう ぱっと見入れ物が違うだけ」とリンクしている。

みんな一つ、みんな同じという概念。

「何が出来るのだろうか 誰を生きようかな〜」と「いつまで迷うんだろうか いつかは分かるよな〜」は、同じ曲の箇所・同じ音程で、ほぼ同じテーマを歌っているということがわかる。

色々な姿や形に惑わされるけど

いつの日か 全てがかわいく思えるさ

ここもまた「ロンリーラプソディ」の「みんなおんなじ顔 私もそう ぱっと見入れ物が違うだけ」とリンク。

今見えている姿形がどうしても気になってしまうけど、気にならなくなる未来があると歌う。

わたしは何になろうか

どんな色がいいかな

探しにいくよ 内なる花を

なりたいものや、憧れの人、そういうものを「何になろうか」「どんな色がいいかな」と歌っていると見せかけて、実は「内なる花」を「探しにいくよ」と、探すべき目指す先は自分の中にあるんだと歌っている。

しわしわに萎れた花束 小わきに抱えて

永遠に変わらぬ輝き 探してた

僕らを信じてみた

僕らを感じてた

咲かせにいくよ 内なる花を

探しにいくよ 内なる花を

萎れてしまった希望や、悲しいものは捨てきれないけれど、永遠に変わらぬ輝きである内なる花を探しに、咲かせにいこう。

my flower’s here…

この繰り返し、「私の探していた内なる花はここにあった」という意味。

曲が終わったと見せかけて、非常に重要なメッセージをさりげなく最後の後奏に紛れ込ませている。

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